日曜日, 12月 12, 2010

映画感想 「ノルウェイの森」

(以下の感想は、映画を見終わった直後に図書館でメモをとったものを、翌日にパソコンで所々直しながら打ちなおした物。Canがなかったので、買ったけど放置していたヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコのアナログ重量盤を聞きながら・・・)



以下、映画結末までの記述が含まれています。ご了承ください。

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最初、年々も「ノルウェイの森」を読んでいなかったので、正確なことは忘れたけど、原作で印象的だったシーン、絶対映画で使われるだろうと思っていた、冒頭の空港のシーンが、映画の頭はおろか、最後まで現れなかったのが意外であった。スピーカーからインストのビートルズのNorwegian Woodが流れるというのが、とても象徴的であったのだけど。

菊地凛子の演技は化物のようだった。最初の20歳の誕生日の時に、「人は永遠に、18歳と19歳の間を行ったり来たりすれば、色々楽なのに」と行った後の嗚咽、その後のセックスの呻き、そしてなにより、山の奥の長撮りで、イツキの死と、彼の肉体を受け入れることが出来なかった己の肉体に対する混乱とで叫び、走るシーンは圧巻だった。

正直、ワタナベの独特な話し方、少し軽さも感じられたが、徐々にワタナベの闇を表向きに現れない表情の奥にあるそれと対比しているようで、周りが熱くなっている学生運動の更新の最中、まるで、まったく別世界の中を ワタナベが歩いているようにみえるシーンで、彼の本質がよく出ているように思えた。

劇中、音楽がほとんど流れない。まったくの沈黙であったり、水のせせらぎや小鳥の声であったり風の音であったりするのだが、音の全てがワタナベや直子の感情の現れであり、それは古典的だが物凄く効果的だった。CANの音楽が毎度ぶち切られ、唐突に何かが起こる。突然ジョニー・グリーンウッドのヴァイオリンが激しくわななく。

「直子の死」というショッキングな表現。ただの素足だけ。音楽が不穏に。そして激しい川の流れに立ち尽くすワタナベの瞬間的なカットの連続。それは神話のような、よく知らないけど(「第三部:絶望」みたいに表現される)オペラのような、そんなカットであり、どこぞの日本映画ならば観客のすすり泣きが聞こえてくるというのが死のよくある表現であろうが、トランはその流れにはっきりとピリオドを打った。哀しみはじわじわとみんなで共有できるものではない。ただ一人に対し、それが頂点にまで達し、そして崩れ去る―、圧巻の描写。

個人的にはレイコのレズビアンの過去の話が原作で一番強烈な印象を残したんだけど、映画では描かれなかった。なぜか、女たらしの永沢とその彼女のハツミの描写に長い時間が割かれたのはなぜだろう。最後にワタナベと寝た女が、レイコだったかハツミだったか忘れてしまった。「5年前にできなかったことがかなった」という空白に対するセリフも・・。

そして一番最後に、緑に愛の告白をし(パンフレットによれば、直子に対してははっきりと「愛している」とはいわなかったという)、もう一度会いたいと赤い公衆電話から電話をする。しかしワタナベは「僕は今、どこにいるのだろう」と自分を見失っているのだ。そのぽっかりと空いた穴のようなシーン。僅かな沈黙。そして流れるエンドスクロールに、監督がどうしても使いたかったと考えていたらしいビートルズの「Norwegian Wood」。この曲は劇中でどう使われるのかというのも気になっていたが、結局エンドスクロールの頭に流れるだけ(歌詞の日本語訳も字幕ででなかった)というのは、そこまでビートルズの原曲にこだわる必要があったのかどうか疑問をもってしまった。

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