アニメの「まおゆう魔王勇者 9話」録画していたものをようやく見ました。
元は2chで投稿していた小説で、一部転記という形をとります。
願うこと、考えること、働き続けることを
止めては、いけません。
精霊様は……精霊様はその奇跡を持って人間に生命を
あたえてくださり、その大地の恵みを持って財産を与えて
くださり、その魂のかけらを持ってわたし達に自由を
与えてくださいました
自由――?
そうです。それはより善き行いをする自由。
より善き者になろうとする自由です。
精霊様は、まったき善として人間を作らずに、
毎日、ちょっとずつがんばるという
自由を与えてくださった。それが――喜びだから
だから、楽だからと手放さないでくださいっ。
精霊様のくださった贈り物は、
たとえ王でも!
たとえ教会であっても!
犯すことのない神聖な一人一人の宝物なのですっ!
使者「異端めっ! その口を閉じろっ 」
閉じませんっ。
わたしは“人間”ですっ。
もうわたしはその宝物を捨てたりしないっ。
もう虫には戻りませんっ。たとえその宝を持つのが辛く、
苦しくても、あの冥い微睡みには戻りはしないっ。
光があるからっ。
優しくして貰ったからっ!
使者「この異端の売女めに石を投げろ! 何をしているのだ。
民草たちよ、この者のに石を投げ、その口を閉じさせよっ!
石を投げない者は全て背教者だっ!!」
ざわざわざわ、ざわざわざわ
投げようと思うなら投げなさいっ。
この狭く冷たい世界の中で、家族を守り、自分を守るために
石を投げることが必要なこともあるでしょう。
わたしはそれを責めたりしないっ。
むしろ同じ人間として誇りに思うっ。
あなたが石を投げて救われる人がいるなら、
救われた方が良いのですっ。
その判断の自由もまた人間のもの。
その人の心が流す血と同じだけの血をわたしは流しますっ
命令されたからと云う理由で石を投げるというのならばっ!
その人は虫ですっ。
己の意志を持たない、精霊様に与えられた大切な贈り物を
他人に譲り渡して、考えることを止めた虫ですっ。
それがどんなに安逸な道であっても、
宝物を譲り渡した者は虫になるのですっ。
わたしは虫を軽蔑しますっ。
わたしは虫にはならないっ。
わたしは“人間”だからっ
引用元:魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」4 103-113 http://maouyusya2828.web.fc2.com/matome04.html
※人間宣言をしている女メイドのセリフは全て発言者名と「」は省いてます
農民への農地改革をした学士(魔王)が既存勢力である中央協会にとって邪魔な存在で、異端者として公開処刑をするため、鞭打ちの後、最後の弁として語る学士の言葉のラスト。学士といっても本人ではなくて、虫と呼ばれ蔑まれた元奴隷の女が、学士のメイドとして仕事を与えられて後々影武者として知識も与えられた女性(女メイド)が、影武者として処刑台に立った。
話としてははてな?の部分が多く、福音書やヨーロッパの近代文学などと比較してはいけないだろうけど、元々丁寧な演出や音楽といい経済と国家といった重層的な話をわかりやすく進む話しといい、このアニメは楽しみに見続けてた。そんな中仕事が失敗続きで、信用出来ないやつだという認知をされてきて個人的に会社にいる立場が少しきつい状況で、休みも悶々としている時でこの場面を見たので、「働き続けることを止めては、いけません」「どんなに安逸な道であっても、宝物を譲り渡した者は虫になるのです」といったセリフにはちょこっと心動かされた。
3月11日を過ぎ、季節も気持ちが悪いくらい暖かな春になってしまい、時が移り変わってしまって、そして受難週にも近づく今日。仕事が個人的に一気に厳しい状況にいるような中でどういう進路を選べばいいんだろうと考えてしまうけど、もう少し自分から目を離して、生かされていると言う事を考えて行きたい。
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