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http://kollsstrains.blogspot.jp/2013/09/its-wonderful-life-clannad.html
その後に、ゲームを全編やり、色々なCDを買い集め、自分でもCLANNADのDVDを全て集め、冬になって満を持してKanonのアニメやゲームをして、春になり桜が咲くまでにもう一度CLANNADを見返そう、そう思ってそのDVDを見ていって、ようやく今日全編見終った。桜はまだ辛うじて残ってるという感じに散ってしまったけれど・・
前回アニメを観て失敗したなと思ったのが、最終話の後に、中断なく連続で「番外編」「総集編」「杏編」と続くわけですが止めずにそのままそれらを観てしまったこと。ただその時はあまりにも結末近辺にショックを受けていたので、その余韻を崩す展開に救われた部分も多少・・なので今回は事前に(一期CLANNADのDVDが終わったあたりで)、学生時代の過去話である「番外編」と学生時代のアナザーストーリーの「杏編」をみて、アフターストーリーと直結している「最終話」の後の、事実上の最終回である「総集編」をみるという、まあ理想的な視聴をようやくできたという。
※以下、ネタバレあり
最終回。Aパートの、幻想世界と現実世界の邂逅、そして12月24日に戻った後の別の家族3人としての生活が描かれる。そしてBパートに、漫才のような風子と公子のやりとりが長く続き、最後に、奇跡が起きた、あの病院の隅の木へ風子が駈け出して、静かに不意に物語が「終」となる。
総集編。汐に朋也が自身の渚と学園時代、そして結婚後の語りがけをするという形で過去の話が振り返られる。その中で、渚なき朋也と汐の物語も「間違いなく現実だった」と肯定して、話の最後に、最終回での「木」での、小さな出会いの出来事の続きをやって「おしまい」となる。
賛否両論の最終回も、アニメという難しい媒体だからこそ、限りなく誠実な作りだったと思う。「奇跡」について、この後も何度も繰り返し平行世界を経験しなければ得られないゲームでの体験であったり、今年初めにあったゲンロンカフェでの馬場社長による、単純な「奇跡」という受け取り方への否定であったり、今作のような報いなき「智代アフター」だったり、色々知った上で改めて、アニメCLANNADの結末の奇跡は、単純で安直で夢オチのような逃げ方のはずがないなと受け止められるようになった。そもそも最初にCLANNADをみたときから、自分はフランク・キャプラ監督の作品と同様にメッセージを受け止めてたから、そんなに否定的な気持ちではなかったけれど、どうせなら現実として汐との二人親子の幸せを見たかったと思う気持ちが強かった。
それにしても、良い作品だなと思う。今回はファーストインパクトのような前のめりさはなく、原作の展開も思い起こしながら、またDVD1巻づつに収録されているキャストのインタビュー映像も挟みつつ見ていったので、話を咀嚼する余裕もあった。もうこの大河ドラマのようなアニメ作品が再び世に出てくるのは難しいと思うし、「街」という地域社会や地方都市の閉鎖感みたいなのもCLANNADの主題のひとつだけれど、まさにいま、「サイタマノラッパー」なり田我流の作品なり「ここは退屈迎えにきて」なりアーケイド・ファイアのフューネラルなり、ちょうど同時多発的に00年の半ばや終わりに登場してきた。そして「出産」描写は、自分が最も好きな紛争SF映画の「トゥモロー・ワールド(Children of Men)」での最も心動かされるシーンとも重なり、家族や奇跡(そして街の変化なんて)そのまま(前回のブログ記事から引っ張ってひつこいけれど)「素晴しき哉、人生!」を連想させられたり、CLANNADの音楽の幅広さ(公式でのアレンジアルバムやボーカルアルバム含め)。色々書いていて止まらないくらい、自分と色々繋がることができた稀有な作品だった。
追伸:興味が興じて生まれて初めて同人の一編も書いてしまった(Colstrains名義)こちらのアンソロジー誌に掲載予定・・http://ayuket.com/clannad10th/anthology/antholo_plan.html