月曜日, 3月 10, 2014

2014年 福井旅記録 2 , アフターストーリー





2月23日 日曜


朝、気付いたら僕はこの家に慣れてしまったのか、初めはいそいそと早く起きていたのだけれど、段々と起きる時間が遅くなっていった。

ただ、昨日の夜カレーライスを作ることができなかったので、朝食くらい拵えようとトーストを焼き、卵とソーセージを炒め、甘いコーヒーをいれた。

Mさんの友人のジミーさんが来られた。Mさんが以前カメラをやってた時の写真を見た直後だったから、こざっぱりとした黒髪にいきなりイメージが変わる。ジミーさんもまた時間があるということで、東尋坊の方へ旅をしようという話となった。

1枚目。Hermeto Pascoal - Zabumbe-Bum-A


最初に手打ち蕎麦屋さんへ。自分は盛り蕎麦を注文。つなぎを使っていないというこだわりだけあり、何もつけなくても美味しい蕎麦ははじめてかもしれない。

2枚目。Little Richard - Very Best of Little Richard


続いて東尋坊へ。ようやく観光地らしい場所の観光となるが僕は東尋坊という名所すらあやふやだったけど自殺の名所と聞きあゝと思う不届き者である。

最初の土産物通りはとても活気づいていた。イカめし食べたりお土産買ったりするのは帰りでいいかと通り抜けてしまうが、結局寄らずに戻ることになるだが。


打ち捨てられたような古い建物の先に観光タワーがあり、館内もとてもレトロでよい感じだが、東京京都タワーなどの塔と比較するようなポスターが色々と貼ってあったのがまあ寂しげでもあった。有料だったので登らず。


東尋坊の絶壁。折角なので端の方まで進んだ。以外と足が竦んでしまう時も度々。端の方に辿りつき、後から来た男性に三人の写真を2枚撮って貰った。


観光客の多い岩から、自殺願望者が向かう左の岸へ。迷ったら電話しなさいという命の公衆電話にはテレホンカードと新約聖書も。歌人もその地に歌を色々残したような、風情あるところであった。


車に乗り、雄島へ。赤い大きな橋を歩き渡り、大湊神社の鳥居をくぐり、右回りで島を一周した。周りの木々もぐねぐねと曲がって、本土とはまた違う雰囲気だった。写真や動画を取りすぎて、この辺りからどんどんデータ整理するはめになりつつ、じっくりと散策を楽しんだ。東尋坊に似ている岩畳があったり、小さな灯台や小屋や神社があったり。


3枚目。Milton Nascimento e Lô Borges - Clube da Esquina


戻ってきてコーヒーでも飲みたいね、ということで、雄島からの下り坂にあるカフェへ。お洒落な、小さな軽井沢のような(行ったことないけど)。

車を出して東尋坊を後にし、途中でジョニーさんともお別れ。


だんだんと日が暮れていく道路を進んでいく。

4枚目。Late Night Tales: The Cinematic Orchestra

日も暮れて、橋を渡って、目的地、勝山の左義長まつりへ。駅裏の駐車場へ駐車し、遠くからお囃子が聴こえる日本らしい高揚感の中、まつり会場へ。橋を歩く途中、どんと焚きの準備をしている姿も。


最初に目に付いたのは、櫓の上でお囃子に合わせて順々に踊る子ども達の姿。器用にくるくるとばちを回し、舞い、太鼓を叩いて交代していく。しばらく感心して見た後に屋台通りへ。


通りは、地元の学生と思われるような比較的若い人達で賑わっていた。途中鯛焼き屋を発見。うぐぅと言わずとも鯛焼きは焼きたてに限るのである。


櫓は一箇所でなく、あちこちに立っていて、同じ曲なのにそれぞれ特色があるようだった。Mさんと途中で別行動をし、お好み焼きを食べてぶらぶらと屋台通りを歩く。


LINEで連絡を取り合い櫓で落ち合う事になったものの、目的地とは逆の方に進んだらしく中々会えなかったものの、色んな櫓を見ることができた。途中偶然暗い細道でMさんと遭遇。


終盤の櫓のお囃子は、特に道から外れた場所のそれで人も疎らなのにヒートアップしていてやたらBPMも早く、素晴らしきクラブミュージックと化していた。

そろそろ、どんど焼きの時間が迫ってきたので、最初の会場へ移動。道ゆく人々の持つ竹槍のようなものはなんだろう。

会場へ到着。全体が見えるように坂の途中で場所取り。だんだんと人も増えてきた。明かりが落とされ、澄んだ冬の空に星がとても明るく光っていた。


神社から聖火ランナーのよう・・ではなく、30人くらいの集団が連なって歩いてきた。彼らが下り降り、それぞれの燃やす櫓へ待機。


事前の合図もなく、時間になり合図の花火があがったと思ったら炎の柱が高く高く立ち並んでいて、辺りは夕焼けのように明るくなった。


もっと近くで見ようと、坂を下り、Mさんと別行動で辺りをぐるっと回ってみた。あの本能的な、火を見ると興奮してしまう人の心はなんなんだろう。

このどんど焼きもまた、地域毎の火になっているらしい。ある所では中々火が燃え広がらないので、立ててある竹を倒したり、ダンボールを投げ入れたりしていた。


合図がはいり、火の近くに寄ってもいいというアナウンスが。一部では興奮の音頭の掛け声も。囲っていた竹槍集団がいつの間にか火の回りに。槍を火の元に。何をしてるかと思ったらどうやら餅を焼いているという。ビジュアルでは、燃え盛る炎に竹槍集団と、まるでこれから一揆でも起こすのかという気迫なのに、なんとも温和なまつりなのであった。


散々iPhoneで撮影をして、火も落ち着いてきたところで会場を後に。Mさんは、福井県民でもこの祭りは行かない人も多いし侮っていたけど、この左義長まつりの、特にメインのお囃子の面白さったらなく、また来年も行きたいと言っていた。


明かりなき道を進み、福井市へ。夜に地元の味8番ラーメンを、味噌タンメンバター入りですすった。


Mさん家へ戻り、ジョージハリスンやニールヤングを聴きながら、今回の福井の旅の事を話し合った。名残り惜しいながらも、行きたいと思っていた所をトラブルなく大方回ることもでき、美味しい名産品や日本酒なんかも色々と味わうこともできた。また天候もとても恵まれた一週間だった。


翌朝早朝、数日間お世話になったMさん家を後にする。車に乗せてもらい、高速バス出発の福井駅へ。

そして、家に何日も泊めていただき、色んな案内や紹介をしてもらい、一緒に旅をし、何人かの友達も紹介してくれ、音楽もつくったり、聴いたりしたMさんとも、しばしの別れを。本当にありがとうございました。


日中のバスなのに、行きの深夜バスより混み合っていた。行きは右前の席だったが帰りは中央席だった。右はトイレだった。長時間の乗車だからと分厚いケルアックのオリジナルのオン・ザ・ロードを読もうと思っていたけれど、Macを広げて日記を書いていたら、思いのほか時間がかかってしまい、新宿到着ぎりぎりまで日記を書き続けていた。

馴染みの東京、埼玉、地元の風景へと、どんどんと戻っていく。重い荷物を引きずり歩き、ようやく一週間ぶりの自宅へ。夕焼けが綺麗だった。出かける前に片付けていたかわからないけれども、行く前よりも別の場所のような、新鮮な気持ちに。

整った穏やかな街並みと、その先に佇む山々の、あの福井の風景が、やっぱり心惜しい。

それでも明日からまた新しい生活がはじまる。





職業訓練の合格通知を受け取って束の間喜んだ、翌日からの生活は、その福井での楽しかった日々とは暗転の、特にきつい数日間となった。すぐに貰えるものとあてにしていた手当が四月末まで貰えない、それなのに3月頭に支払わなくてはいけないクレジットカードの請求額は、過去最大の金額で、頭が真っ白になった。付け刃の如くやった肉体労働では、何段もある引っ越し先への荷物の往復で社員に檄を飛ばされ、文字通り力尽きるまで働いた。学生時代から、膨大な時間と労力とお金と思い出が詰まったCDや本の大半を手離さなくてはならなくなった。友達に誘われた飲みの席でも、一銭もお金を出すことができなかった。暫くはライブも映画もみられず、音楽を買う事もできそうにない。自殺のドキュメンタリー映画をYouTubeでみて泣いたりもした。春のプレイリストも、人と共有することを意識しない、プライベート色の強いものとなってしまった。


気がついたら、3月になった。


結局クレジットカードは、半分をリボルディング負債にして、残り半分を日雇い労働とCD売却費で何とか絞り出す事に。家賃と諸税金も電話で相談し翌月の手当てがはいった段階で払えるものを払っていく事に。学校も始まり今日も怒られつつもしがみついて行くしかない。肌寒い春の始まりの時として・・

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