土曜日, 9月 03, 2016

『planetarian〜星の人〜』AIRのその先にあるもの。


『planetarian〜星の人〜』観ました。池袋の小さな映画館はほぼ満員、最前列で見上げるように観る様は、さながらプラネタリウムを鑑賞するかのようでした。そういう体験での劇中での星空の描写は中々格別でした。
(横席の恰幅の良い男性がやや前屈みだったために顔が視界に入ってしまう事と終始もぞもぞしてたのが気になってしまったけど…)
自分は原作ゲーム及びドラマCDは未鑑賞、配信版アニメは全話鑑賞の上、見にいきました。
映像配信にて、メインの話は最終回まですでに配信されています。「前知識としてその配信版をみなくちゃいけないけど、すでに有償配信になっちゃってるしなぁ・・」と、これから映画を観る方は思ってしまいそうですが、そんな心配は杞憂です。劇中での回想にて、配信版のストーリーがほぼ劇場版でもそのまま挿入されています。僕は鑑賞しながら、最初にその展開になったとき、心の内でずっこけましたが、配信版の演出はモニターと小さなスピーカーで観るのとはまるで異なります。特に終盤の街頭での銃撃シーンの音響は別物です。
肝心の劇場版で展開される話ですが、メインの少年少女の名が、レビ、ルツ、ヨブと、聖書からの名前であり、この劇場版の元となったノベライズでの章にエルサレムといった名もあり、予告をみたら、これまでの舞台とはまた違う時代や世界みたいに見えたので、最近読んだ手塚治虫の火の鳥のような展開だとか、また聖書からの要素も含んだ話になるのではとうっすら予感をしていました。


以後、結末までのネタバレ有です。













本作はそこまで難解な話ではありませんでした。配信版とは数十年後の別の国でのひとつの集落が舞台です。ある程度予想が当たったのか、火の鳥未来編と同じく、人々は地上では生活せず、地下にて暮らしています。また、マッドマックスのように、男性がなぜかいない女だけの集落で(他の集落も似た有様)、生殖ができないというのが問題だそう。
そこに1人の老人が。彼はかつて「星の人」と呼ばれ、世界各地を巡りながら、小さなプラネタリウムを拵えて、星を観せて歩いていたそうです。そう、配信版での結末で、あの男はゆめみの意思を継ぎ、星の人となったようです。
老人は路上で倒れていました。子ども達が発見し、地下へ連れていきます。子ども達は教会で、女神像に向かって祈ります。そう、その女神は金髪で・・・
老人はそこでも、子ども達の為にプラネタリウムを子ども達と一緒に拵えます。しかし、物質不足の最中、そんな道楽めいた余裕は集落の人々にはなく、次第に反老人の意見が増えてきてしまいます。
プラネタリウムが完成し、初めて星という存在を知る子ども達。星も知らず目の前のの問題に執着する大人達。しかし結局、老人は集落から追い出される事に。
老人は子ども達に、「星の人」を継がせようとし、同時に子ども達も、老人から星の事をもっと教わり、星の人を継ごうとします。
老人が出て行く事が決まった時、老人は「ゆめみ」のメモリーを譲り、子ども達は老人に、自分達の宝の「鍵」を思わすペンダントを譲ります。そして老人が顔を上げた先に、教会の女神が。
この女神、話の流れでいうと、ゆめみの記憶を継ぐロボットなのではないかと思うはずですし、てっきりあのメモリーカードを、女神に挿入し、再びゆめみと巡りあえると思ったのです。
が、そうではなかった。
老人は病に倒れてしまいます。元々弱っていた体で、無理に子ども達に向き合っていたとの事。そして、老人は亡くなります。
老人は、死後の扉を開き、あの世へいきます。そこはあの時のプラネタリウム。しかしその時にいなかったお客さんやスタッフが、いっぱいいるのです。その真ん中に、彼の人生を変えたゆめみが。流れるはずのない涙を流して立っていました。
星の人はゆめみと出会い、長い年月星の人としてはたらきを行いました。ゆめみから労いの言葉を受け、最後に星の人は呟くのです。
「ああ、これで俺は報われた。」
僕はこの言葉に一番涙腺にきてしまいました。
現実では、亡くなる老人へ、あの女神の像が歩みます。そして老人の側に跼み、祈るのです。女神はロボットではなかった。それはひとつの奇跡でした。
長い金髪の女神、僕にはそれは、1000年の苦しみを繰り返した翼を持つ少女、その末裔の観鈴にみえてなりませんでした。プラネタリアンの原作は、AIRの骨格を麻枝准と共につくった涼元悠一です。
この作品は描写の作り込みが弱かった部分、説明不足の部分、憐憫描写の過多があったのは否めないですが、しかしAIRに直結する物語を、劇場版CLANNAD以来数年振りの、Key作品の劇場版作品で観ることができるというのは、中々ない体験だったのではないでしょうか。
さらに、感動の死の描写が十八番のKeyにおいても、「天国」の描写を描いたのは初めてだったと思います。偶然にも、今年の元旦に、同じ池袋の映画館でみた「母と暮せば」も、教会から続く、プラネタリアンと類似する魂の世界の描写がありました。
映画館を出た後にはいった街のアニメショップでは、プラネタリアンの映画化キャンペーンと銘打ち、映像と共にメインテーマ曲のように、賛美歌「いつくしみふかき」のメロディが流れているのが、なんだか不思議な感覚でした。
「いつくしみふかき」ですが、賛美歌の他に、海外では反戦歌、日本では星の唱歌として生まれたというのです。

When This Bloody War is Over この血なまぐさい戦争はいつ終わるのか
When this bloody war is over この血なまぐさい戦争はいつ終わるのか
Oh, how happy I will be; はやく幸福な時が来て欲しい
When I get my civvy clothes on 軍服を脱いで
No more soldiering for me. 戦闘なんてしなくて済む生活ができる時が
No more church parades on Sunday 日曜の教会の行列はごめんだ
No more begging for a pass; 外出許可を取るのに惨めな思いするのもごめんだ
I will tell the Sergeant Major 軍曹殿に言ってやりたい
To stuff his passes up his ass. あんたの外出許可証を尻に突っ込んでやるぜと
I will sound my own reveille 自分の起床ラッパで起きて
I will beat my own tattoo; 自分の帰営ラッパで帰りたい
No more NCOs to curse me, 下士官のグチもごめんだ
No more fucking Army stew. まずくてしょうがない軍隊シチューもごめんだ
24 When This Lousy War is Over (A Parody of What a Friend We Have in Jesus)

「星の界」 杉谷代水
月なきみ空に きらめく光
嗚呼その星影 希望のすがた
人智は果(はて)なし 無窮(むきゅう)の遠(おち)に
いざその星影 きわめも行かん
雲なきみ空に 横とう光
嗚呼洋々たる 銀河の流れ
仰ぎて眺むる 万里のあなた
いざ棹させよや 窮理の船に

参考:星の界(エリー,いつくしみふかき) http://www.ffortune.net/calen/xmas/songs/erie.htm
膨らまそうと思えば、それこそ「火の鳥」に匹敵する作品となったかもしれませんが、収まるべくしてしっかりと一つの作品として完成された『planetarian〜星の人〜』、よい作品であると思います。是非劇場にて、ご鑑賞ください。

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