金曜日, 9月 18, 2009

祝・どせいさん!


人形つきだし、復刊は難しいと思われていたどせいさんの本のリクエスト投票400票達成!

おめでとうございます。
下記のリクエストの投票数が400票に到達しました。

登録No.27909 登録日時 2005/02/07
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ジャンル   : ゲーム
書名     : MOTHER 1+2どせいさんのほん
著者名    : 糸井 重里
出版社    : エンターブレイン ムック
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http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=27909


クレーンゲームに1000円(失敗)、オークションに4000円もはたいて買ったどせいさんぬいぐるみも、ようやく一般購入が可能になったということでしょうか。個人的には一番かわいいどせいさんぬいぐるみが、このどせいさんのほんのどせいさんだと思うので、非常に楽しみ!なんとか復刊しないかな。倍値でもいいんで・・・。

ほぼ日刊イトイ新聞 - 『MOTHER1+2』どせいさんのほん
↑ぺしゃんこどせいさんがかわいすぎる・・・


そしてもうひとつ。

復刊ドットコムで熱い復刊要望をいただいていた『MOTHER 2』の仮予約が決定しました!
http://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=2645293&tr=s

★仮予約300部達成で復刊が決定します!

皆さまからの熱い復刊要望に応え、再度仮予約を行います。規定部数の300部に到達し次第復刊が決定しますので、ぜひ皆さまの力で復刊を実現させてください。


在庫数が184なので、これが0になれば復刊だと思うので、なんとか復刊してほしい。

東京マグニチュード8.0 最終回「悠貴へ・・・」

・・・


思いっきり泣いた。


内容について書くのも億劫だけど、未来からついに悠貴がいなくなって、「だいすき」といって・・消えてしまうあたりは、頭のすみっこのほうでベタなんだよ、と思いつつ、目からはどんどん汗が。

母親と再会する瞬間、どんなに気持ちがいっぱいだったんだろう。そのとき、母の後ろで悠貴が消えていく・・。父親とも再会しても、未来は悠貴を失った罪の意識でいっぱいいっぱいになっている。

食卓には、もういない悠貴の分の食事が。「そろそろ、やめようか」と父。そして、一番みたくなかったもの・・・悠貴の仏壇と、写真がそこにはあった――。

机で絵を描く悠貴はもういない。



(Blu-ray) (DVD)



精一杯元気に振舞う母親と、からっぽになってしまった未来。そこに真理が。

前半の再開シーンもお涙シーンとして音楽がもりあげてくれた。それでもこの最後の真理の言葉にはかなわないと思う。

音楽はなく、明るくにぎやかな外と、その反対の沈黙の部屋を対比させた中で、真理は自分が夫を失ったときの話をする。そして、そのときに生まれてきてくれたひなのことも・・・。

未来に渡された悠貴のリュック。そして携帯電話。そのなかには、わかっていたんだけどもやっぱりつらい、悠貴のさいしょでさいごのメールが残されていた。何なんだろうか。ひらがなでゆうきと書かれているのを見ただけでもう・・・。

未来は、母親に、悠貴のさいごの絵といえる、おたんじょうび祝いの絵と、お台場で買った花のおみやげを、悠貴からの誕生日プレゼントとして手渡す。そのときに、母は涙を抑えることはできなかった。

そしてもうどうしようもなく、目からの汗が止まらなくなってしまった、悠貴の、生まれてからの家族との写真。生きていることってこういうことが重なってきたのに、死ってあっけなくやってくる。うれしそうな表情、泣いている表情、夢中になっている顔、みんなそれはかがやいていた。

悠貴の教室にのこされた、絵、そして習字「未来」。わかっていたけれども、もうひとつみたくないもの。そう、机の上には花が・・。未来はさいごに、歩いていかなくっちゃ、といった。悠貴が植えたマロニエはどこまでも育っていくんだろうな。

エンディング。写真が変わっていた。被災者たちをとった一枚一枚が重たく、けれども生きている。そんななか、通常EDでもあった、手をふって走る悠貴の写真が・・・・・・・・。


木曜日, 9月 17, 2009

RIP Mary・・・ピーター・ポール&マリー、そしてスタンド・バイ・ミー。


マリー・トラヴァースの訃報をお昼のワイドショーで知った。ネットでこの話題をあげている人はほとんどいなかった。確かにもう70歳を超えていたらしく、寿命だったのかな・・しょうがなかったのかなと、思ってしまった。

ピーター・ポール&マリー、なにか心にひっかかるアーティストだった。部屋に戻ってYoutubeで曲を聴いたり、Wikipediaの記事をみたりしているうちに、ふと突然、小学生の頃の思い出を思い出した。



「パフ」どういう経緯だったのだろうか、教育テレビだか、小学校だかで覚えた曲だったのか、よくわからないが、その曲を親父がレコードで流してくれた。前に住んでいた家には、親父が若い頃に持っていたと思われる巨大なスピーカーと、立派なLPターンテーブルをつかっているところをみた、最初で最後の出来事だった。その後、引っ越す際にその巨大なスピーカーは人に譲ったらしい。

ターンテーブルはもう劣化して動かないらしく、今では俺は自分で買った安価のLPプレーヤーで、中古で買ったLPや親父のLPをたまに聞いたりしている。

パフ・・・あの時、たった一回だけリビングで流してもらったあの曲は、曲目が漠然と覚えているだけで、この訃報のときにはじめて、この曲はピーター・ポール&マリーが歌っていたんだということを知り、あのときのレコードを探した。



久しぶりに、親父のLPのデータ化をしながら、このLP(二枚組みのベスト盤)を流している。そんときに泣きはしなかったけど、パフを聞いたときは胸が痛かったな。

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ニュース記事

ピーター・ポール&マリーのマリー・トラバースさん死去、72歳 国際ニュース : AFPBB News



今日のお題スレのお題をいただきました。

http://kollsstrains.blogspot.com/2009/09/blog-post.html

そこでも同じ文を書いたんですが、こっちでもともと書くつもりの文だったんで、はりなおしときました。









で、そのパフのwikipedia記事をみてみると・・・



『パフ』(原題『Puff, the magic dragon』)は、アメリカのフォークソング・グループピーター・ポール&マリーによる楽曲。日本では童謡として親しまれている。


概要

『パフ』の歌詞は1959年、レオナルド・リプトンが19歳の時、オグデン・ナッシュの詩"Custard the Dragon"の一節"Really-O, Truly-O, little pet dragon."に影響されて作られた。学友のピーター・ヤローが歌詞を加えて作曲し、1961年からピーター・ポール&マリーの曲として演奏されるようになった。その後、1963年にレコーディングされ、大ヒットした。

歌詞は、不老の竜「パフ」と少年「ジャッキーペーパー」との交流と別れを描いている。舞台はおとぎの国Honah Leeの「海」。『パフ』の名前は竜の不思議な息や鳴き声に由来している。

米国ではドラッグ・ソングと曲解され、ヒッピーの聖歌になっているとの噂が流れた。マリファナ所持に極刑を科しているシンガポールなどで放送禁止になる事態もあった。作詞者はこれを強く否定し、ステージ上でも観客に無実をアピールし続けた。

また、"Puff the Magic Dragon"はベトナム戦争においてAC-47/AC-130攻撃機を指す米軍スラングにもなった。


日本において

『パフ』は小学校三年生向けの音楽教科書に掲載され、また幼児向け番組で放映されるなど子供向けの切ない曲としての印象が強いが、この曲をフォークソングとして知った世代にはベトナム戦争に関わる反戦歌と受け取られていることも多い。

日本語詞は芙龍明子(教育芸術社『小学校の音楽3』使用)、野上彰(NHK教育「おかあさんといっしょ」使用)、中山知子のものなどが存在する。

また、日産・サニーやNECのパソコンのCMで起用された。


引用:パフ  ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典
http://ja.wikipedia.org/wiki/パフ 最終更新 2009年4月7日 (火) 06:40



やっぱり、小学校でならったんだ。そういえば・・・小学校の合奏で「パフ」をやった記憶がうっすらとある。

それにしても、この曲は結構問題の曲だったんだなって始めて知った。ビートルズのイエローサブマリン、ルーシーインザ~はドラッグソングとしての認知はあるけど、イエサブもまた、今では童謡としての役目を果たしているように思える。

・・・で、このLPを聞きながら、読みかけの「スタンド・バイ・ミー」を読んでいた。最後の死体に対しての描写が生々しい。そして大雨の描写が、小学校のときの遠出の記憶と重なった。映画版は、ラストシーンにしろ、線路を歩く映像にしろ、大好きなので文句のつけようがないが、小説版は完全に作者の昔話という色が強いため、長いエピローグなどは明らかに映画に感じられた、それぞれがもつノスタリジア色というのは薄められ、個人の作品なのだな・・と実感した。



Ζガンダム全50話を見終えて


そもそも、アニメに入れ込むきっかけだったのは、「エヴァンゲリオン」であり、「ファーストガンダム」より宇宙世紀を順に見ていたガンダム(おもに劇場)シリーズだったのかもしれない。正直、劇場版のΖに関して、あまりいい感想はもっていなかった。けれども、ラストを変更にせざるを得ない展開が、旧テレビアニメ版にあるとしたら、いったいどこの話が崩壊しているのだろうか。

その友人が一番好きなガンダムがΖであるので、どんなものかと六月の終わりに全巻DVDをレンタルして見始めたが、一気に見ることはとてもじゃないけどできなくて、オープニングソングの変わる前後あたりで視聴をいったんとめていた。残りを九月にはいり、見返していったが、映画版でカットしてある、36話「永遠のフォウ」と37話「ダカールの日」、そして妹と称するロザミアの話に引き込まれていって、一日一巻のスパンですべて見ていった。

勿論諸説あるが、Ζであらわしたニュータイプやら強化人間やらの精神的幻想描写が、この作品の主題であるんだろうけど、その崩壊していくさまを、あくまで死を肯定する大人を否定した怒りだけで表現しているようにも思えた。

とりあえず〆 いつイデオンみようか・・・。

追記:参考になったブログ

『機動戦士Zガンダム』 第36話「永遠のフォウ」 囚人022の避難所


『機動戦士Zガンダム』 第48話 「ロザミアの中で」 囚人022の避難所


『機動戦士Zガンダム』 第49話 「生命散って」 / 第50話(最終話) 「宇宙を駆ける」 囚人022の避難所

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