木曜日, 11月 26, 2015

死んだセカイ戦線「Life is like a Melody ―麻枝准トリビュート」について こるすとれいんす




2015年12月30日追記:コミックマーケット89にて頒布します。自分はただの一寄稿人ではありますが、当日ブースで売り子のお手伝いをすることになりました。



エッセイ「麻枝准と連なる音楽ジャンル・アルバム」寄稿、
座談「Heartily Song――麻枝准の音楽は、なぜ心を揺さぶるのか?」へ参加しました。(URL先にて試し読みができます)

また、同誌へ提供した楽曲の視聴音源もアップいたしました。






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Keyのシナリオライター・作曲家の【麻枝准】氏をトリビュートした合同誌、文フリで頒布された、死んだセカイ戦線「Life is like a Melody ―麻枝准トリビュート」(冒頭写真右)




読み終えた後に、うわあああって走り出したくなるような本、そんな同人誌だった。色々と感想がぶわーっと頭のなかで走ったから、なんとか今のうちに感想を書こうと思ったのに、言葉がどんどんと流れていってしまって、何をかけばいいのか分からなくなってしまった―。

まずは一読者として、この本を3日間かけて読み終えることができた。順を追って・・


◯各章の感想


・巻頭に、だーまえ(麻枝准の愛称)の大学時代の友人の吉田さんのインタビュー。彼の知られざる裏話というレベルの内容ではなく、吉田さん自身の波乱ある半生と、成功していっただーまえとの対比の物語でもあり、最後の質問である「児童福祉の立場から見るKeyの物語」に至っては、現実の子どもたちの問題と街の意味というものを、Keyという作品を経るからみえる。そこの最後の問いかけが、幻影と現実を描く麻枝作品の本質そのものを、当事者の重み故に、リアルに受け止めさせられる、必読の内容だった。

・多賀宮さんの「智代アフター」論。索引と本文の重層的なテクストで、一番最初の(修正が入る前の)智代アフターにおける衝撃と、この作品のもつ麻枝准の作家性そのものを綴る。実は、僕は個人的に「智代アフター」の初回版へは否定的で(主に冒頭部分のセクシャルシーン)、これからプレイをしようとしていた友達には、初回版に手を出すのはやめといたほうがいいよ、などと言ってしまってたのは愚かだったなと反省・・プレイして直ぐ再プレイをした数少ない作品だった。

・村上裕一氏の麻枝准論。冒頭にZABADAKの「休まない翼」が引用された意味とは。三島由紀夫の「豊饒の海」に手を出したくなっちゃた。月を柱とした重厚な評論。

・土屋誠一氏のAngel Beats!覚書。AB!の根本部分に関しては、思えばしっかりと考えたことがなかった。この世界と、あの「ANGEL PLAYER」―。Charlotteもそうだけど、だーまえのアニメ作品はしっかりと紐解くと、過去のゲーム作品に匹敵する情報量があるにも関わらず、気が付かずに通りすぎてしまう所が多すぎてしまって(ついでにノイズも多分にあって)見なければいけない部分を見逃してしまって、とても勿体無いことをしていたのかもしれない。

・峰尾さんのONE論。ONEも恥ずかしいことに、メインヒロインのルートしかちゃんとやったことがなかった。他のシナリオの凄みを知ることができた。やらなくちゃ。

・北出さんの久弥直樹と対比した麻枝准論。過去作品ではなく、それぞれの最新作である「Charlotte」と「天体のメソッド」をメインに取り上げているからこそ、作家性がよりリアルに浮き出させる。両作品とも、ビジュアルノベルゲームの金字塔の一つになった「Kanon」と比べると、2つのアニメ作品の持つ作品力は(初見時では)劣るのかもしれない。なのに、ふとそれぞれの作品のキャラクターや情景が蘇ってきて、唐突に大切な「何か」を提示させられてくる。

・ワニウエイブさんの、十代を思い返す音楽とサブカルチャーの自分自身のエッセイ。あの時代の「オルタナティブ」に直接触れたその躍動感。僕はレディオヘッドもアニメもKeyも、リアルタイムでは主要なタイトルに向き合うことができなかった。次にある僕自身の音楽レビューと重なるようなテーマだったから、ある意味では真逆ともいえるそのスタンスが凄く面白かった。

・こるすとれいんすの、麻枝准が影響を受けた音楽レビュー。一読者として読むと、僕自身と同じ音楽リスナー狂いであるのに、その音楽を聞くスタンスはストイックに作家性に根ざしたものなのだなと、そのブレなさがすごいなと思った。

・各イラスト。スナップショットのような、それぞれの作品の一瞬を、それぞれの絵かきさんが描いていて、その色々な見方がKeyの広がりそのもののようだった。

・音楽座談会。だーまえの作る音楽、聞く音楽、構造、変化など、スタンスが違う語り手だからこそ、気が付かなかった部分が沢山知ることができた。付録の執筆陣による音源も合わせて。

・あさいさんのエッセイの、ストレートに書かれた青春時代とKeyの思い出、yuyagiriさんのエッセイにおける、他の書き手にはあまりなかった「東映版」Keyアニメ作品をリアルタイムにうけた感想もあった。麻枝准が好きだ!という文こそこの本の中核なのだ。

・meta2さんの聖地巡礼記。旅エッセイだから、本当に深夜バスにのって和歌山をめぐるようで、めぐるめく写真も重ねて楽しかった。けれども、その場所も時が過ぎてどんどん風景が変わっている虚空さも同時に書かれている。結末部分では、地域感としてのKeyの考察も。

・Charlotteを中心としたトーク。話の流れで思いも寄らず、話がまとまっていったり、以外な共通点と繋がったり、Charlotteを(いわゆる信者的な持ち上げではない)ポジティブな視点からの見方がどんどんと出てくる躍動感ある文で、その謎の意気投合感がアホらしくも面白かった。中々見たことのない、Keyの「漫才」についてもしっかりと語られてた。

・井坂優介氏のKeyトリビュート短篇小説。「AIR」の根幹部分のアナザーストーリーともいえる力作。戦争。家族。孤独。言葉。「CLANNAD」の様相とも重なる。この短編小説が最後に置かれるからこその、多角的なKeyのものがたり。


◯全体の感想


編集長のmeta2さんは現役大学生。他の一般寄稿者も10代〜20代前半が中心で、はっきりいってビジュアルノベルゲーム(その中心の一つであるKey)なんて「一昔前」のものだったはずなのに、今なおリアルタイムの若者を魅了させる(現在放送のアニメ作品だけでなく、タクティクス時代のゲームでさえも)そのKeyの底力が、今回のこの本の登場で、図らずも浮き上がった。

多くの同人誌はしっかりと練られた批評を集めた物が多く、半ばプロのような完成度のものも多い。反面、処女作とは思えないセミプロな装丁やコンテンツはあるものの、この麻枝准本は、素人の素人による、好きが昂じてできてしまった同人誌らしい同人誌であるともいえる。いわゆる「商業誌」には絶対になり得ないけれども、その青臭さが大きな魅力。

ただ、仕方がなかったとはいえ、「麻枝准」という作家をテーマとした本だったからか、それぞれの書き手の参照した文学の大半が「村上春樹(の世界の終り〜)」となってしまったのは勿体無かった。麻枝准という根っこの、その先にあるものが知ることができたら良かったのかもしれない。(けれども、それだと考察本になってしまって、この本とのスタンスとずれてしまうのかも)その反面、音楽への考察は他のアニメ考察本には全くないディープな部分まで語っていて、それもまた独特。

冒頭で書いたように、妙なエモーショナルがこの本には詰められている。それを、ひとつの「形」としてまとめ上げたこそに意味があるのだと思う。


◯寄稿者側として


僕自身(本誌内では書かなかったけれども)、北出さんや井坂さんと同じ27歳で、いわゆる(社会的に成熟して父親にもならなくちゃいけないような)おじさんと、(色んな庇護下にある)若者の、ギリギリの狭間の歳に、この企画に参加できた事は、個人的にも意味あることだった。(27歳といえば、多くのロックシンガーが自殺をする歳でも有名だ)

一番上の写真にあるように、これまで「Key」の同人誌、「郊外」の同人誌を企画して編集して頒布した。それらをつくった意味合いは、第一に色々な作品に出会ったことの自分の中での整理や総括のため、そしてその先に進むためのひとつのピリオドとして製作したという、合同誌であったのにも関わらず、かなり個人的な意味合いが大きかった。だからKeyへの自分の気持ちは、この麻枝准本ではなく、自分が編集した「Key本」へ綴った。

反面、麻枝准本への自分のスタンスは、あまり自我を出さないで、読者の役に立つような「ガイド」として役になったらいいなという気持ちで、音楽に関する章を書いた。これも編集の方には色々とお世話になってしまい、僕の最終稿の後に結構手を加えた文が、今回の文だったりする。僕自身が半年前に編集の経験した事が反転して、今度は寄稿者としての経験が合い重なって、色々なきつい部分を実体験できたし、理解することも出来たのかもしれない。

僕自身経験したことでもあるけれど、合同の本をつくったがこそ、色々な人との出会いがあって、きっかけがあって、自分の視界が広がったりする。この本を最初に頒布した文フリのブースにおいても、色々な交流があった。それは別に著名な方であったとしても、全く無名な方だったとしても、同様に価値あることだと思う。

音楽で有名な説話で、NYのバンド「Velvet Underground」のレコードを買った人間は、誰もがミュージシャンになっただとか、「Sex Pistols」の最初のライブを観た見た人間が、みんな音楽を始めた―だとかがあるけれども、若い人が偶然集まった「麻枝准」本においても、もしかしたら似たような事があるのかもしれない。

僕は思春期においての強烈な体験で「Key」を知ることができなかった。先にロックを知り、映画「It's A Wonderful Life!(素晴らしき哉、人生!)」を毎年見たり、村上春樹をほぼ全部の作品を読み、買っていった10代を経た後で、20代になってようやく(それらと関係があるというきっかけで)Keyを知った。だから、考え方としては、中心にあるのは別のもので、Keyがそれにうまく合致してしまった。今の大人の風景が、Keyの作品にある風景と重なってしまった。だから夢中になることができた。不思議な縁だ。

ここ最近「リトバス」のシナリオを書かれた樫田レオさんや、棗鈴役の声優の民安ともえさんがご結婚されたというニュースが相次いではいった。そうした物事の変化に、僕自身が含まれていくのかどうかはわからない。だけど、これから歩む人生の中で、どこかで必ずKeyの作品は、自分の横に寄り添い、きっかけとなる存在になると思う。そして過去でも未来でもない、他でもない今だったから、この本の片隅を作ることができた。関係する方々、本当にありがとうございました。

* * *

「麻枝准トリビュート本」はコミックマーケット、また通販にて後日再販するとのことなので、欲しいという方はホームページなどを追って頂けたら幸いです。またほんの数部ですが、サークル「こるすとれいんす」がC87で頒布した「Key's FOUR SEASONS」(800円+送料)も極少数ありますので、ご希望の方はTwitterへご連絡ください。






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