日曜日, 3月 13, 2016

素晴らしき日々、というゲームについて。(ねたばれなし)



ビジュアルノベルゲームといえば格好がいいのだろうか、いわゆる美少女ゲーム。深夜アニメカルチャーがポピュラーになりつつある2010年代になってもなお、PCショップの奥底に積もれる箱のそれを、サブカルチャー的な感覚で手にとってプレイをするには中々敷居が高い。値段も高い(新品で8000円前後)。プレイをするにはWindowsのPCも必要だし。萌えを全面に出した巨大な箱を買うというのは、なにか一線を超えちゃうような、そんな怖さがあるのかもしれない。
中高生時代は、どちらかといえば深夜アニメに対しては否定的な見方をしていた自分も、大学に入りアニメを見始め、その偏見が解けるどころかその魅力にどっぷりと浸かる。そして社会人となって、(村上春樹との関連、また友人の影響で)代表的なビジュアルノベルゲーム会社「Key」の作品・・「AIR」「CLANNAD」「Kanon」などに、非常にのめり込み、果てはTwitterで人を集めて同人誌をまとめたりなんてのもした。ようは、ビジュアルノベルゲームの沼にもまた、ハマってしまったのだ。
ビジュアルノベルゲームは、女の子と擬似恋愛をするだけの、しょうもないオタクの媒体だけではないのは、思想家・評論家の東浩紀なんやらが様々な書物などで紹介をしているので割愛をするが(というより、ビジュアルノベルゲーム界における評論界というもあるのだ)、音楽・絵・膨大なテクストによって、映画やアニメ、小説とはまた違う表現方法により、独特な表現方法をすることができるのだ。アニメなどに抵抗がある方は是非、iPhoneからダウンロードできる「428 〜封鎖された渋谷で〜」あたりをプレイしてみると、その魅力の一端がわかるのかもしれない。アニメ絵が大丈夫な方は、同じくiPhoneでダウンロードできる「AIR」を(最近フルボイスになった)。自分がKeyにはまってしまったきっかけが、このアプリ版のAIRだった。あとiPhoneでプレイできる主だったビジュアルノベルゲームは「STEINS;GATE(シュタインズゲート)」も。気になる。
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「素晴らしき日々~不連続存在~」というのは、2010年に発売されたPCアダルトゲームである。Key作品を色々とプレイしていった間に、「名作」と呼ばれるようなビジュアルノベルゲーム作品がある中、色々な方からよく名前にあがるタイトルが、この「素晴らしき日々」略して「すば日々」だった。興味はあったものの、まず中古の価格も定価かそれ以上であり、ゲームも再販されていなかったために、中々手を出すことができなかった。
ゲームを購入しようかなと思った最初のきっかけは、この作品のトリビュートコンピレーションアルバムがフリーでダウンロード出来ることを知ったことだった。ゲーム劇中の象徴的なシーンのセリフをサンプリングしている箇所がある。ネタバレが怖い方はクリア後に是非。今までアルバム版しか知らなかったが、実はEP版もあるとのこと。

次のきっかけは、長年廃版でサウンドトラックがプレミア化していたらしいのだが、最近になってオフィシャルサイトから販売されていたため、ゲームより先にサントラを購入(アルバムにシングル二枚)してしまったのだ。
CDを買ってしまったからにはゲームをやるしかないということで、秋葉原へ。売り場をみると、偶然にも新品ですば日々が売られていた。新作の「サクラノ詩」が発売されたからなのだろうか。
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ゲームプレイ前で1番イメージが強かったのは、やたら哲学的モチーフを出して難解な内容であること。そして暴力的描写が激しいこと、ということだったので、それだけで尻ごんでいた。
しかし、一緒に「Key」や「郊外」をテーマとした合同同人誌をつくった際に、寄稿してくださった方々、また他方でもこのゲームの事をやたら話題とすることが多かったので、興味自体はずっとあったのだ。
MacBookに(ビジュアルノベルゲームやるためだけにインストールしてあるBootCampのWindows10へ)インストール。最初新品で買ったのに、BGMが鳴らないなど挙動がおかしかったのは、Win10が悪いのかBootCampが悪いのか分からず焦ったけど、インストール先をUSBメモリーにしていた事が悪かったらしく、再度Cドライブへインストールしたら正常に。(しかし全画面でプレイしていたら、毎回5分経過くらいになると突然ウインドウが閉じられる・フリーズするといったバグはあった)
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第1章 “Down the Rabbit-Hole”
STORY:A(序章)→主人公水上由岐がビルの上からぬいぐるみを落とすような不思議ちゃんであるざくろと出会う。幼なじみの鏡と司という双子と一緒に自宅で一緒にお泊り会などした後、天体観測へ。終盤、遊園地で意味深なアトラクションがあったり、ぬいぐるみを落とす(天体観測の)行為の目的や真実が明かされ、幻想的な結末へ。
STORY:B(水上由岐の章)→冒頭部分が最初と同じだが、性格や話の展開がなぜか少しずれる。学校の自殺事件、そして終末論を吹聴し救世主を自称する生徒、そして悲惨な結末へ。
(この章はニューゲームで進むと自動的にAに入り、クリアするとメニュー画面から自動的にBへいけるようになるけれど、再度Aをプレイしたい場合は、Bの最初の電車の中での選択肢を変えると、そのままAへいくようになる。)
第2章 “It’s my own Invention”
STORY:A(間宮卓司の章)
→気弱な少年の卓司、校内の不良に壮絶な虐めを受ける。学校裏の旧プール下に秘密基地をもって、そこに潜ってライトノベルなどを読むのが趣味なオタク。そこにざくろが現れたりして、彼の脳内妄想は暴走。しかし自殺現場に鉢合わせになって以降・・・。
STORY:B(間宮卓司と橘希実香の章)
第3章 “Looking-glass Insects”
STORY:A(高島ざくろの章)
→以前虐めにあっていたものの、とある出来事以後から不良少女らとも不器用に共生できる、しかし息苦しい日常。そこに屋上で文学好きの少年と出会い、ときめく。しかし共生も段々と崩れ、虐めは再びエスカレートし・・・。
STORY:B(高島ざくろと橘希実香の章)
第4章 “Jabberwocky”
第5章 “Which Dreamed It”
第6章 “JabberwockyII”
結末章・終章
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話の中心は、虐めがある学校と、ビルから落ちた自殺事件、その後の校内での騒動という、ある意味では小さな枠の中での群集劇。それぞれの章毎に、違うキャラクターの視点となって、その事件を体験していく。
しかしそれだけでは、この作品がこんなに話題となるわけではない。恋愛が成就してそのシナリオが終わるという、一般的な美少女ゲームとは異なって、その一連の事件の結末日へいくことは、すなわちバッドエンドとも言えるのだけれど、それを迎えないと次の章に進むことができない。それぞれの視点から、それぞれの結末を順に追っていき、事件・人間ドラマの真相が見えていく。そのために、記憶の差異やキーワードの消失などが起きるのだが、その要因は何かというあるトリックもつくられている。4章以降は、その解き明かしとともに、主要人物の過去の物語が描かれる。
そうして全ての物語、結末の章まで読んだ後に、最後の章が現れる。その「問いかけ」によって、この物語を納得できる人もいれば、全てをひっくり返されて「蛇足」だと考える人もいるかもしれない。
しかし、残念なことにあまり気がついている人はいないのだが、それを読み終えた後に、改めて「序章」をプレイし直すと、一番最初にプレイをして全く気が付かずに「おかしな事をいっている」ざくろのセリフや行動が、色々な伏線となっている事、あのアトラクションでの「日付」、そして序章終盤の展開そのもの、それらの意味がようやくわかる。この序章こそが本当の結末だと気がついた時には、本当にすごいと思った。
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そして、このゲームの魅力は、色々な小説、また音楽、そして哲学的な考えの引用から、また別のものに色々と興味を持たせるということだった。
劇中のざくろのパートで度々登場する本に、「シラノ・ド・ベルジュラック」という戯曲のセリフをまとめた本が登場する。エドモン・ロスタン作の五幕の韻文戯曲。戯曲なんて今まで読んだことがないし、聞き慣れなかったタイトルから小難しい印象で、これまでだったら、まあ手にしなかったであろう一冊。しかしゲーム劇中で、この物語を度々引用し(主要なセリフにも!)、この「シラノ・ド・ベルジュラック」に出てくる主人公、シラノの行動と重ねることで、行動の引き金ともしている。ゲームでは泣いたりはしなかったけれども、「シラノ・ド・ベルジュラック」を読んだら、シラノの最後のセリフは、とても胸に詰まるものがある。「シラノ・ド・ベルジュラック」こそ、主要な章としてまるごと登場したっていいくらいだ。200ページ強もあるけれど、解説などを省いて読むと、自分は2時間程度でいっきに読み終わることができた。
そして「素晴らしき日々」そのものの主題は、ゲームタイトルの如くずばり「幸福に生きよ!」という事なのだが、その言葉は、20世紀のオーストリアの哲学者であるウィトゲンシュタインが若いころにまとめた(非常に難解な)「論理哲学論考」で登場する言葉だ。そしてその「論考」の入門書として、野矢茂樹が書いた本が「ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む」という本。ゲームの主要作者であるSCA-自氏が、ゲームをつくるにあたって大いに参考になった一冊でもあるという。正直自分は飛ばし飛ばしでしか読めていないのだけれど、最終章はまさに、死と幸福に生きることについての章なので、ゲームを通して色々「考える事」のきっかけとなった方は、大いに助けとなる本なんじゃないかなと思う。

(追記)「幸福に生きよ!」は「論理哲学論考」での文言ではなく、「ウィトゲンシュタイン『草稿』(1916年7月8日)」による。野矢茂樹著「ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む」307頁では、「『論考』全体を貫くウィトゲンシュタインのメッセージは、次の一言に集約される。 幸福に生きよ!」というようにまとめられている。

ゲームの中で、度々ピアノを弾くシーンがあったりするのだけれど、そこでの主要な曲として登場するのが、エリック・サティの「夢見る魚」である。正直マニアックな曲で、普通のサティのベストなどには収録されていない。そもそも楽譜が見つかったのが遅かった曲らしく、初めて音盤化されたのが、日本でも高橋悠治のパートナーでもある高橋アキの作品、その名も「夢見る魚」が世界で初めてだという。サティらしい、ちょっとおちょくったような冒頭部分から、なぜだか心に響く旋律。クラシックに限らず、メロディー主体の曲ではあまりない、変わった一曲でもある。僕はすば日々以降、主要曲以外ちゃんとサティを聞けていなかったなと思って、まず高橋悠治のサティ作品を集めたり、上のレコードを買ったりした。
他にも登場する本は、各章タイトルの基であるルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」「不思議の国のアリス」。序章で出てくる宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」など、色々な本が登場する。やっぱり、色んなものに興味を持たせる作品って素晴しいなって思う。
音楽担当をしている方が、もともと日本のオルタナティブバンド「NUMBER GIRL」をカバーしていた方だったり、ゲームの世界観に彼らの歌詞イメージから取った部分もあったり(ガイドブックに書いてあるらしい)、各章のエンドロールボーカル曲も、NUMBER GIRLや(英国ロックバンド)Radioheadに影響を受けたような、オルタナティブロックソングである。
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正直このゲームの1章から3章にかけての暴力描写は目に余るものがあった。特に2章は酷かった。集団暴行、強姦、ドラッグ、拷問・・・成人向けゲームだからこその表現方法ではあるんだろうが。
また、学校裏サイトだの、不良描写だの、携帯電話だののガジェットが、とても2010年のものにはみえなかった。同様なことは、2章後半での過剰な「電波系的」な描写にもいえる。(しかしその2章がめちゃくちゃ長い長い・・)
ある意味では90年代にあった成人ゲームのアングラ的表現を2010年になって総括させた、というような所もあるのかもしれない。元々この「素晴らしき日々」も、90年代末に出た「終ノ空」というゲームの内容を、ある意味叩き台としてる部分もあるらしい(未プレイなのでなんともいえないけれど)から、という事もあるんだろう。
一番最初にやった1章の最後の悲劇は非常にショッキングだった。
ただ、全編そういうつくりであるゲームじゃない(でなけりゃこんなに人気は出ないと思う・・)。4章からの展開は、とあるトリック、色々な引用や考えさせるセリフとともに、話そのものは能動的な展開が進む。単純に面白い。キャラクターも魅力的・・・これ以上書くとねたばれとなるので、それはまた別の記事で。
いずれにしても、Keyなどの有名なビジュアルノベルゲームを経験された方だったとしたら、東浩紀のいう「豊潤なノベルゲームの世界」へ誘う一つの作品として、「素晴らしき日々 不連続存在」をプレイしてみるというのも、いいのではないだろうか。先日お会いした学生の方は、このゲームにとても影響を受け、人生観までも変えられたという人もいた。それくらい、強度のある作品であるのは間違いないと思う。

続き→

素晴らしき日々、というゲームについて。(なんとなく考えたこと)



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