Erik Satieが全編に。
良くも悪くも、今までのTVシリーズでの「涼宮ハルヒの憂鬱」が少し整ったという作品だったと思う。
「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズ自体、大量に出現した「ポストエヴァンゲリオン」、数多くの深夜萌アニメのなかでの頂点にあり、2000年代で代表するアニメといえば、結局これなのかな・・っという作品。
昨年夏には、「エンドレスエイト」での8話続いての同じ話の繰り返しの騒ぎもあった。
自分の頭の中の経路で、「サマーウォーズ」「涼宮ハルヒの憂鬱」「少年時代」「ぼくのなつやすみ2」「MOTHER3」、そしてそれらの狭間に「ジムノペディ」が繋がっている。
昨年「涼宮ハルヒの憂鬱」最後のはなしに現れた「特報」に、驚かされた自分もいた。
↓曲ジムノペディの予告編
劇場版 涼宮ハルヒの消失 オリジナルサウンドトラック | |
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(ディスク2は全編サティ!)
ー以下、ネタバレあり。ー
ブログ記述BGM:「Piano Solos Of Erik Satie - Bill Quist」
ジムノペディの調べとともに現れた予告編の通り、映画の作中でも大事なところでジムノペディが。
しかし、物語の最初はTVシリーズそのままの展開で、日常のはちゃめちゃな高校生活を表現されている。しかし、数日後、主人公は「今までとは違う」非常に平安で現実的な世界に呆然となる。
このようなタイムトラベルストーリーとしてはベタなのかもしれない。僕の最も好きな映画「素晴らしき哉、人生!」でも自殺未遂後に知る、自分がもし存在しなかった世界に絶望するし、「バックトゥザフューチャー」でも、タイムトラベルが原因で何かが消滅し、変化してしまう世界でてんやわんやする話ではある。
「涼宮ハルヒの消失」は、原作の涼宮ハルヒの憂鬱シリーズのなかでも圧倒的に人気がある作品ともいえ、アニメ制作に間が開き時間がかかるなか、ファンはいつ「消失」がアニメ化されることがとても大事なことのようだった。だからこそ昨年の夏に一期再放送後に二期のようにつくられて言ったハルヒシリーズで、エンドレスエイトで時間を食われて行く事態に、大騒ぎしたのだろう。そして、「消失」の映画化はある程度予測できたこととはいえ、ようやく映像化するということで素直に喜ぶファンが多かった。
今日は公開初日かつ最初の上映時間に、いままでハルヒシリーズを観たことのなかった友人ふたりと連れ添って、映画館へ向かった。けれども、今まで観たことがないなかで、時空列がムチャクチャになり、過去の話もちょくちょく顔を覗かせるこの話を理解するは難しかったようで、見終わった後の話でも言葉数少なくと言う感じだった。このようなシリーズ物で、しかも一般観客がみない萌アニメを、ファンでもない友人と一緒にいき、1500円も払わせてしまったは申し訳なかったなぁ。
作品そのものは、露骨な萌描写は薄かったと思うが、主人公は延々一人語りをするという特殊な作品で、その喋り方も、初めてこのシリーズをみたときに僕は一番鼻につくものだったし、そういうところも駄目だったのかなと思ったり。他のアニメおたくの男友達同士で面白かったなーと嬉しそうに話している姿が少し羨ましかった。やっぱり、ひとりでいくべきだったな。
話の展開は、ちょっとプロローグ、そして全体のテンポが遅く、長い・・と思うところ以外は、原作そのままと言う感じで、特に各キャラクターの混乱する生もちなどを素直に映像化されてた。しかし、「消失」後の世界での、主人公キョンは、映像化するとよけいに、ただの頭がおかしい電波男にしか見えないとこが・・。しかもあんなに感情的な人だったっけと少し呆気にとられる(はぁ・・とため息つきながらだらだら従うというのが彼のこれまでの「あり方」だったから)。
ユキが読んでいた本が、「村上春樹 世界の終りとハードボイルドワンダーランド」再販版単行本だったのは意図的だったのかな。世界の終り・ハードボイルドワンダーランドと二つの世界で、それぞれの男が脱出を試み続ける、個人的な、春樹作品での好きな作品のトップにある本。しかし角川の村上春樹作品が数多くあるなか、なぜ新潮社のこの作品が登場したんだろう。主人公がパソコン通信をもちいて、行方不明になった彼女と連絡を撮り合う話は、「ねじまき鳥クロニクル」3巻だったかな?
(余談 「1Q84 Book3」が4月16日に発売!)
主人公同士の対話のシーンは、あからさまにエヴァンゲリオンで苦笑。感情的になるのは高校生の性なのかな。
その反面、銃で「消失後」のユキを撃つ直前の回想はベタだけど好き。特にリアルタイムでエンドレスエイトを追いかけた身としては、ハルヒの巻き添いの修正のために何百年も余計に過ごさなくてはいけなかったユキの「疲れ」、そして感情を持つに至る思い出が走馬灯となって駆けたあのシーンにぐっときた。
そして、ベットから起きるシーンの皆既感的描写も、これもまあベタだけど、いい。
結局、エンドレスエイトは必要だったんだなって思わせる劇場版だった。
もちろん、「笹の葉ラプソディ」も再放送後の新作として最初にアニメ化されたあたりも、確実に劇場版への伏線だった。ただこちらはストーリー的な伏線であるのに対し、「エンドレスエイト」は視聴者に対しての感覚的伏線だったのだろう。
結局、シンジ君よろしく、「今までのハルヒに振り回された世界」を素直に楽しかったと言えるようになることが、世界を変えるという、典型的セカイ系な流れではあるが、現実の自分として、今までの冴えない生活も、冴えなかったり辛かったりする部分だけを思い起こし、将来への希望を見いだせないなかで、「素直に楽しかったんじゃないか」、、、楽しいでもいいけど、変化に逃避するのではなくて、現実を素直に受け止め、受け入れることへの活力を、このアニメ映画から受けられたかな、、、とも思う。
ただ、長過ぎだろうな。せめて、休憩を入れて欲しかった。良かったんだけど疲れたーというのが鑑賞後の第一声だった。今の映画って昔の作品みたいに休憩時間を入れないのなあ。
(長門有希の中の人による、独唱曲。エンドスクロールの。)
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