木曜日, 9月 17, 2009

RIP Mary・・・ピーター・ポール&マリー、そしてスタンド・バイ・ミー。


マリー・トラヴァースの訃報をお昼のワイドショーで知った。ネットでこの話題をあげている人はほとんどいなかった。確かにもう70歳を超えていたらしく、寿命だったのかな・・しょうがなかったのかなと、思ってしまった。

ピーター・ポール&マリー、なにか心にひっかかるアーティストだった。部屋に戻ってYoutubeで曲を聴いたり、Wikipediaの記事をみたりしているうちに、ふと突然、小学生の頃の思い出を思い出した。



「パフ」どういう経緯だったのだろうか、教育テレビだか、小学校だかで覚えた曲だったのか、よくわからないが、その曲を親父がレコードで流してくれた。前に住んでいた家には、親父が若い頃に持っていたと思われる巨大なスピーカーと、立派なLPターンテーブルをつかっているところをみた、最初で最後の出来事だった。その後、引っ越す際にその巨大なスピーカーは人に譲ったらしい。

ターンテーブルはもう劣化して動かないらしく、今では俺は自分で買った安価のLPプレーヤーで、中古で買ったLPや親父のLPをたまに聞いたりしている。

パフ・・・あの時、たった一回だけリビングで流してもらったあの曲は、曲目が漠然と覚えているだけで、この訃報のときにはじめて、この曲はピーター・ポール&マリーが歌っていたんだということを知り、あのときのレコードを探した。



久しぶりに、親父のLPのデータ化をしながら、このLP(二枚組みのベスト盤)を流している。そんときに泣きはしなかったけど、パフを聞いたときは胸が痛かったな。

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ニュース記事

ピーター・ポール&マリーのマリー・トラバースさん死去、72歳 国際ニュース : AFPBB News



今日のお題スレのお題をいただきました。

http://kollsstrains.blogspot.com/2009/09/blog-post.html

そこでも同じ文を書いたんですが、こっちでもともと書くつもりの文だったんで、はりなおしときました。









で、そのパフのwikipedia記事をみてみると・・・



『パフ』(原題『Puff, the magic dragon』)は、アメリカのフォークソング・グループピーター・ポール&マリーによる楽曲。日本では童謡として親しまれている。


概要

『パフ』の歌詞は1959年、レオナルド・リプトンが19歳の時、オグデン・ナッシュの詩"Custard the Dragon"の一節"Really-O, Truly-O, little pet dragon."に影響されて作られた。学友のピーター・ヤローが歌詞を加えて作曲し、1961年からピーター・ポール&マリーの曲として演奏されるようになった。その後、1963年にレコーディングされ、大ヒットした。

歌詞は、不老の竜「パフ」と少年「ジャッキーペーパー」との交流と別れを描いている。舞台はおとぎの国Honah Leeの「海」。『パフ』の名前は竜の不思議な息や鳴き声に由来している。

米国ではドラッグ・ソングと曲解され、ヒッピーの聖歌になっているとの噂が流れた。マリファナ所持に極刑を科しているシンガポールなどで放送禁止になる事態もあった。作詞者はこれを強く否定し、ステージ上でも観客に無実をアピールし続けた。

また、"Puff the Magic Dragon"はベトナム戦争においてAC-47/AC-130攻撃機を指す米軍スラングにもなった。


日本において

『パフ』は小学校三年生向けの音楽教科書に掲載され、また幼児向け番組で放映されるなど子供向けの切ない曲としての印象が強いが、この曲をフォークソングとして知った世代にはベトナム戦争に関わる反戦歌と受け取られていることも多い。

日本語詞は芙龍明子(教育芸術社『小学校の音楽3』使用)、野上彰(NHK教育「おかあさんといっしょ」使用)、中山知子のものなどが存在する。

また、日産・サニーやNECのパソコンのCMで起用された。


引用:パフ  ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典
http://ja.wikipedia.org/wiki/パフ 最終更新 2009年4月7日 (火) 06:40



やっぱり、小学校でならったんだ。そういえば・・・小学校の合奏で「パフ」をやった記憶がうっすらとある。

それにしても、この曲は結構問題の曲だったんだなって始めて知った。ビートルズのイエローサブマリン、ルーシーインザ~はドラッグソングとしての認知はあるけど、イエサブもまた、今では童謡としての役目を果たしているように思える。

・・・で、このLPを聞きながら、読みかけの「スタンド・バイ・ミー」を読んでいた。最後の死体に対しての描写が生々しい。そして大雨の描写が、小学校のときの遠出の記憶と重なった。映画版は、ラストシーンにしろ、線路を歩く映像にしろ、大好きなので文句のつけようがないが、小説版は完全に作者の昔話という色が強いため、長いエピローグなどは明らかに映画に感じられた、それぞれがもつノスタリジア色というのは薄められ、個人の作品なのだな・・と実感した。



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