映画「アダプテーション」感想記。
この映画は、映画作品としてこういうやり方はありなのか、どうなのかというスレスレのところを映画にしてしまったというもので、音楽ではそこんところを「表現」として表現できるけど、映画の場合はそこのところはどうなのか。
以下ネタバレありね。
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劇中で、脚本家育成講座の教師が叫ぶ「俺の2時間半をドブに捨てるのか」。映画という完全に束縛された空間の中で、頭の中の過程にある映像を無編集という編集された空間におかれる。
ドナルド・カウフマンって誰さ?
→「マルコヴィッチの穴」で彗星の如くハリウッドに登場した脚本家チャーリー・カウフマンの双子の弟として「アダプテーション」に登場した架空のキャラクター。
映画冒頭のよく分からない一人しゃべり後の最初の映像が、またずるい。「マルコビッチの穴」の撮影(あの、「マクロビッチが脳みそツアーに気づいて、自分で自分の脳みそにはいって、そこで観た「女である自分」だらけのレストランのシーン)風景からはじまる。しかも主人公はその映画の脚本家らしいが、関係者以外立ち入り禁止といわれて、撮影場所から追い出される・・・そこからこの映画は始まる。・・・というわけで、この作品は「マルコビッチの穴」の続編という捉え方もありだけど、でもそうじゃない。主人公の双子の二人のように。
主人公が脚本家そのもので、どこまでが本当のところなのか分からないまま、チャーリーの巨大化した「生命と蘭」という構想の破綻から、インチキと思われる脚本講座を受けて一躍スターになりそうになってしまうドナルドとの対比がまた皮肉まくっている。全く自分の丸投げ映画と思いきや、徹底して計算尽くされた恐ろしいサスペンスになっているのがすごくて、それが凄いと素直に言わせない嫌らしい作り方となっている。
劇中で、脚本家育成講座の教師がいう「結末さえどうにかなればその映画は良しとなる」。が、弟とジョンの死でなく、最後に告白するというよく分からないシーンにしたのがまたね^^;
こんなとんちんかんな傑作はそうそうないので、この世界を知らない人は、マルコビッチの穴と合わせてアダプテーションを見ないと色々勿体無いね(何が)。
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