金曜日, 6月 18, 2010

「火垂るの墓を見て毎年思うこと、見方の違い」・・・をみて。



いつもチェックしてる2ちゃんまとめサイトさんで、こんな項目ができてた。まとめサイトから更にまとめ直してみます。

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火垂るの墓を見て毎年思うこと、見方の違い 働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww


539 : スジシマドジョウ(コネチカット州):2010/06 /18(金) 02:46:33.45 ID:4juTYt5q
もともと野坂は蛍の墓を反戦映画として書いたのではない。
自分の愚かさを呪い、妹を自らのエゴで殺してしまったことへの
贖罪の意をもって作品を完成させたらしい。
だから清太はクズだって糾弾するのはお門違い。
もともとそういう風に清太を描こうと思って描かれてる。



28 : アメマス(東京都):2010/06/17(木) 21:55:19.20 ID:cCxepfXZ
高畑勲
「清太と節子は”家庭生活”には成功するけれど、”社会生活”に失敗するんですね。
いや、失敗するのじゃなくて、徹底して社会生活を拒否するわけです。
社会生活ぬきの家庭を築きたかった。
まわりの大人たちは冷たかったかもしれない。
しかし、清太の方も人とのつながりを積極的に求めるどころか、
次々とその機会を捨てていきます。

お向かいの娘に、『うちらも2階の教室やからけえへん?』と誘われて
『ぼくらあとでいきますさかい』と断り、学校へも行かず、先生にも相談しない、
置かしてもらった親類の未亡人はいやみを次々いい放つけれど、
あの時代、未亡人のいうことぐらい特に冷酷でもなんでもなかった。

清太はそれを我慢しない。壕に移り住むことを決断して清太はいいます。
『ここやったら誰もけえへんし、節子とふたりだけで好きに出来るよ。』
そして無心に”純粋の家庭”を築こうとする。そんなことが可能か、可能でないから
清太は節子を死なせてしまう。しかし私たちにそれを批判できるでしょうか。
心情的にはべつに現代の青少年たちとだけ類似があるのじゃないと思うんです。

マイホームとか核家族とか、個室やオートバイを子どもに与えるとか、
おとなもみんな清太になりたがり、
自分の子どもが清太的になることを理解し認めているんじゃないんですか。
社会生活はわずらわしいことばかり、
出来るなら気を許せない人づきあいは避けたい、自分だけの世界に閉じこもりたい
それが現代です。それがある程度可能なんですね。
ウォークマン、ステレオ、パソコン、みんなそれを象徴しているような気がします。
清太の心情は痛いほどわかるはずだと思います。」



536 : ヌマガレイ(和歌山県):2010/06 /18(金) 02:42:45.29 ID:3VW9W0eK
アメリカでジブリアニメの人気がでて、
パパさんが子供を喜ばせてやろうと、よく分からないままジブリアニメの
ビデオ買って帰って、家族全員で見始めたら「ほたるの墓」だったとか
何とかいう話があったような



540 : アブラソコムツ(北海道):2010/06/18(金) 02:54:12.87 ID:J9S6ip/Q
>536
爺さんが第二次世界大戦中にパイロットで英雄と呼ばれ、
その後は町の名士となり、家族も自慢の存在となった。その孫達を
両親がパーティに出かけるのである女子校生がバイトで
ベビーシッターをすることになり、レンタルビデオで借りた
日本のアニメーションを見せて時間を潰すことにした。
両親がパーティから帰ると、子供達が泣いているので話を聞いてみると
「おじいちゃんも女の子を殺したの?」
と大きな声で泣きながら言ったという



347 : メカジキ(アラバマ州):2010/06/17(木) 22:55:48.17 ID:cr5ugskp
蛍の墓見たアメリカ人が自分の両親を銃で撃った事件あったな
かすった程度だったらしいけど



33 : ピライーバ(catv?):2010/06/17(木) 21:55:47.92 ID:k63mFbOr
セツコ さん 広島県 6さい 女の子

520 : アメリカン・シクリッド(東京都):2010/06/18(金) 01:15:55.57 ID:SoMPVTkK
>>33
>ほたるはせいちゅうになったらなにもたべないからです
この事実に驚いた



454 : ミスジリュウキュウスズメダイ(アラバマ州):2010/06/17(木) 23:51:42.78 ID:tSCQJmId
今見ると反戦臭さがしない
当時の日本のごくありふれた出来事なんだなと思える
特に大人の台詞がそう感じさせる



332 : ハゼ(神奈川県):2010/06 /17(木) 22:52:28.19 ID:xadi/FsM
自分の立ち位置によって見方変わるアニメだよな。 


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2010/06/18(金) 14:07 | URL | No.:204190
子どもの頃に見たけど、反戦なんかちっとも感じなかったなぁ
「大人=容赦ない現実」と、「子ども=閉じた世界の理想」を感じてた
ちゃんと大人になれない人間は死ぬんだ、って思った

名前:総力上げる名無しさん #- | 2010/06/18(金) 15:12 | URL | No.:204203
<347みたいなことって結構アメリカって起きるよな
絶対自分正義で悪や悪徳を見せないから、起きる気がする
戦争のことになるアメリカ人は勝った勝った以外、皆何も知らない

名前:名無しビジネスVIPPER #- | 2010/06/18(金) 15:37 | URL | No.:204210
いろんな見方ができるってことは、それだけ良い作品だということだよね

名前:名無しビジネスVIPPER #- | 2010/06/18(金) 15:38 | URL | No.:204211
勝手にユートピア作って逃げ込んで
だけどそんなもん上手くいくはずもなく
野たれ死んだ話だと思ってたわ……。

名前:名無しビジネスVIPPER #- | 2010/06/18(金) 16:14 | URL | No.:204221
自分はいつも見る度に清太の視点で、節子を助けられないのが悔しくて泣ける。
もし自分が同じ時代に同じ立場だったら、何が出来るのかと思ってしまう。

名前:究極至高の名無し #- | 2010/06/18(金) 16:19 | URL | No.:204224
確か清太が節子と2人分の食器を流しにつっこんで片付けもせずに遊びに行ったシーンあったっしょ。
おばさんの嫌味ってどっちかというとそういう身の回りの事すらしない事に対してだっと思う。
自宅は勿論、小学校の頃の夏休みに行き来してた従兄弟の家でも
「働かざる者食うべからず」と、御飯の後片付けは子供たち5人でジャンケンして
負けた2人でやるのが当たり前だった俺からすると、
「そりゃおばさんも怒るだろ」位にしか思わなかったわ

名前:名無しビジネスVIPPER #- | 2010/06/18(金) 16:28 | URL | No.:204229
人間が二人集まれば争いは起きる。
社会ともならば尚の事。

じゃあ何で社会を作るのかと言うと、その方が楽だから。
一人で生きようとすれば、下手すれば生存活動だけで一日が埋まる。余裕が無い。

結局個人で自由に生きるよりも

前:名無しビジネスVIPPER #- | 2010/06/18(金) 17:01 | URL | No.:204242
ボンボンdisのメシウマ作品のつもりで描かれた作品かと思ってたが違うのね。贖罪か。

名前:名無しさん@ニュース2ちゃん #- | 2010/06/18(金) 17:07 | URL | No.:204246
反戦じゃないんだよな。
誰も悪人じゃないし悪くない。
おばさんだって他人の子を優しく面倒見てやれる余裕ある状態じゃなきゃ自分の子を優先して当たり前。
戦時下のやるせない日常を描いただけ。小ずるく小利口にたちまわる、って子供の頃は卑怯だしすごく嫌がるけど、実はそういうのが生きるか死ぬかの瀬戸際には求められる資質なんだろう。

2010/06/18(金) 17:15 | URL | No.:204248
晴太も良い人とは言えないし、おばさんも決して良い人ではないと思うけど、
やっぱ戦争が無かったらこんな事態にならなかったと思うよ。
俺は1周回って反戦作品だと思うわ。

自分が2年前に書いた感想

火垂るの墓/ユーザーレビュー - Yahoo!映画

涙が一滴もでなかった、高畑監督『火垂るの墓』

久しぶりの映画感想になります。今日、およそ10年ぶりに『火垂るの墓』をみました。小学三年生の時の平和学習の時間以来でした。

この映画は、僕の産まれた年に公開されました。僕が小学三年生の頃の平和学習のとき、この映画とともに、実写の『硝子の兎』をみたと思っています。ですので、僕は火垂るの墓と硝子の兎を混ぜて記憶していたのでしょう。

僕は、次第にお涙ちょうだいの日本の反戦モノに対して嫌悪感をもつようになりました。自分たちが被害者として、アメリカの攻撃にあい、日本の軍や大人の高ぶった力で、弱者である私たちの家族が悲惨なめにあうという筋書きに同情と憐れみだけを求め、形のない『平和心』をもったと思い込んで、一般論として周りと同調する…。

この『火垂るの墓』も、そんな映画だとばかり思い込み、10年前に観て以来、テレビ放映されても観ることはありませんでした。

当時、もっとも強烈に印象に残っていたのは、駅のホームで死ぬ清太を周りの人間がゴミ同然にあしらう、冒頭のヒトコマでした。節子に対しては、当時小学生であったからであるかわかりませんが、わがままな子だなぁと、彼女に対して憐れむことはありませんでした。


今日、見直して、僕は涙は一滴も溢れることはありませんでした。

彼ら二人はただの犠牲者ではなく、逆に周りの大人も理不尽な抑圧者というだけでもなく、何わ考えさせられたかというと、あの場所で彼らが『枠』から離れてしまったがために、死んでしまった、『枠』の残酷さを、この映画で物語っていることです。

母親が腐ってしまったさまは、感動をおこさせる道具という範疇を越えた、死の非ドラマ性、ただの現実として呆気なく示してしまったものです。

また、過去のドラマとしての戦争に対しての怒りよりも、僕は、戦後の日本の高度成長の文化の冷たさに対する怒りのほうが、より感じたのです。ラスト、なぜ二人の眼下に都市のビル群があったのか。それがこの映画で一番伝えたかったことではないでしょうか。劇中、空襲をうけて焼け野原となってしまった故郷にたいし、登場人物や主人公に「えらくすっきりしたなあ」と言わせたのでしょうか。


また8月になったら、見返してみようと思う。

3 件のコメント:

  1. 私はやはり涙が出ます。
    単純に、悲しくなるからです。
    批判しても、何も感じなくてもいいから、一度は見ておくべき作品だと思う。

    返信削除
  2. コメントありがとうございます。
    今年はジブリの他作品が連続してTV放映される関係上、火垂るの墓が地上波に流れることはなさそうですが、毎年多くの人に見続けられていってほしい作品ですね。

    返信削除
  3. 引用>

    宮崎監督は『朝日ジャーナル/1988年8月5日号』で「帰るべき所のない死」と題し、『火垂るの墓』について次のように記しています。以下、引用。

    「飢えと栄養失調で死んだ四歳と十四歳の兄妹の二人の幽霊が、なぜ母の幽霊と出会わないのか。母と二人は別々な世界に行ったのか。生に執着し、恨みを残して死んだのなら、二人の幽霊は死ぬ寸前の飢餓の姿であるはずなのに、なぜ肉体的に何も損ぜられていない姿をしているのか。(中略)⁰あの二人は生きながら異界へ行ったのだ。(中略)⁰兄の甲斐性なしを指摘する者がいるが、彼の意志は強固だ。その意志は生命を守るためではなく、妹の無垢なるものを守るために働いたのだ。
     二人の最大の悲劇は、生命を失ったところにはない。(中略)魂の帰るべき天井を持たないところにある。あるいは、母親のように灰となって土に化していくこともできないところにある。しかし、二人は幸福な道行きの瞬間の姿のまま、あそこにいる。兄にとって、妹はマリアなのだろうか。二人の絆だけで完結した世界に、もはや死の苦しみもなく、微笑みあい、漂っている。⁰「火垂るの墓」は反戦映画ではない。生命の尊さを訴えた映画でもない。帰るべき所のない死を描いた、恐ろしい映画なのだと思う。」

    https://twitter.com/seijikanoh/status/632194784388448256

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