土曜日, 1月 29, 2011

2度目の『ノルウェイの森』鑑賞記(仮)

上映最終日の1月28日レイトショーにて、2度目の映画『ノルウェイの森』を見てきた。(親から車も借りることもでき、夜に一人車を運転して映画を行くという、ちょっと背伸びした行動ができた。)

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以下ネタバレ有。




前回は公開初日に鑑賞(↓はその感想)
 i am Kólßtrains: 映画感想 「ノルウェイの森」

今回は一ヶ月前の初日と、今日の上映最終日でやっぱり(今回は原作も久しぶりに途中まで読み返し、宇多丸さんなどの映画評も聞いた上での鑑賞なので)見方が少し変わったと思われる部分を中心に短く感想を書いてみる。

 TBS RADIO ザ・シネマハスラー「ノルウェイの森」 (ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル)


まず感じたのは、まるで監督が2人いるかのように、表現が両極端だということ。

映像で言うと、映像の切り口が「長回し」と「カットの連続」との差が大きいと思った。その為に見ている側の時間間隔が狂ってしまう。

最近RTしたツイートに

私たちは内的な時間を尺度にすべきであって、外的な時間を尺度にすべきじゃないということだけは、再び学び直さなければなりません。私は『モモ』の中でそれを試みたわけですが、時計で測れる外的な時間というのは人間を死なせる。内的な時間は人間を生きさせる。 『三つの鏡』

というのがあったように、主人公達の体感する時間というのは、カットの連続で続く序盤の「ワタナベの大学入学時の様子(特攻隊など)」「ミドリとの最初の会話」はとにかく場面場面をカットでつなぎ続けたり、会話する二人をしゃべるたびに映る顔のカットが変化したりと、スピーディーに展開するのに対して、

重要なシーン、特に「直子との性行為」や、この作品で最も印象的な場面といえる「草原で歩き続けて直子が壊れていく」シーンなどは、音楽も途絶えて環境音や息の音だけで延々とカメラが回し続け、しかもその感情が高ぶっていく…

そう、映像だけでなく音も極端だ。殆ど無音のシーン。会話だけのシーン。そしてバーンとCanやDoorsが流れてバサっと音が途絶える。ジョニー・グリーンウッドのバイオリンも、気が高ぶって情緒が不安定になる心理描写と波長がばっちりあうようにヴァイオリンの旋律が激しく大きく響き渡る。(ライムスター宇多丸氏によると、その旋律が大げさに感じて少しおかしく思ったくらい)




前回と比べて原作をある程度読んでいたので、自分の頭の中で、鑑賞中に原作の文が行ったり来たりした。面白い寮の同居人である「特攻隊」君の描写が映画では少ないが、彼が部屋から居なくなって、部屋がシーンの時間が立つたびに汚くなっていく様など前には気がつかなかった。部屋にはジム・モリソンの写真が貼ってあっただろうか。


この作品ではセックスシーンがくどいほど長く描写してあるのに、そのシーンにエロティックな映像を殆ど入れない。しかし他にエロティックな描写がある。「プール」の映像。原作ではそんなに描かれないプールシーンを、映画では冒頭の、水中でキズキと直子の抱き合うシーン、映画中盤の、全く関係ないと思われるワタナベが水着姿でつったってるシーン→ミドリと水中からプールサイドに上がるシーン(2度も同じシーンがあってスローモーションにまでなり、官能的に感じた)


この映画の根本的な問題として、同級生の死という経験があるにしても、そこまで絶望しきってしまう彼らはなんだろう。ということ。それぞれの登場人物に寄り添って内面を描かないのはメリットでもありデメリットでもある。そもそも原作が一歩離れているというクールな視点だということが人気の秘密なのかも知れないが…


(出筆中なう。放置しないようにしないと。。)

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