日曜日, 12月 20, 2009

クリスマスソングを聞きながら、一度空白にしたい就活。



今週にクリスマス、来週大晦日と元旦と、年末年始が目前となってきた。

ただ、9月終わりあたりから始まった大学の就職説明会にSPI講座で夜中まで残って、必死に「就活」をやってきた。就職サイトもたいていの所に登録して、gmailで振り分けなんかして、それでも結局リクナビ大半、マイナビちょびっとって感じで50社くらいエントリーして、それ以降はサイトもあまりみなくなって、SPI講座など終わり、大学ももうすぐ冬休みという今の段階になって、だんだんやる気がなくなってきた。今までいつの間にか小売業界ばかりをエントリーして、合同説明会に二回、説明会なんかも三社いったけれど、会社の話はどれもうなずける、立派な話ばかり。でもその仕事、結局一生かけてやっていけるのかと考えると、立ち止まらざるをえない。

昨日行った某中古本屋チェーンも、今後の全国展開していく中で、「失敗」をさせて「成長」をさせることを盛んにうたっていたけれど、その挫折をわざわざ得るために、会社にへらへらしなくちゃいけないのがなんかなぁ・・・質問する人がそれは自信ありげに手を上げて、カンペ通り「〇〇大学××学部のナニガシといいます。今回は貴重なお話を聴かせていただきありがとうございました。なになにさんのお話のなかで・・・・・・・・・・・・・・・・」彼らもおんなじなのにな。それでも小憎たらしい。

会社に自分をさらけ出して、自分が会社と相性が合うかどうか、本音を見せなければ分からない、結婚みたいなもんだってよくいうけれど、結局彼らも自分も取り繕っているのはなんなのだろうか。こうブログでグチを書くのも久しぶりで、こういう記事が人事の人にばれて選考に響くとか考えるのも情けない話だけど、そういう事を考えてしまう。


クリスマスという自覚が今年、いよいよゼロになっているのが怖い。子供時代が完全に消滅してしまったのだろうか。マイケル・ジャクソンが民放番組でスキャンダルから弄られていたが、彼の少年の心がああいう形でしか表現されないことが歯がゆいが(そこに触れるマスコミが嫌だし、それを見てしまう自分も虚しい)、でもあの少年の心は絶対に失っていはいけないものだと思う。いま、ビング・クロスビーのクリスマスアルバムを聴いて、ようやく、クリスマスの感覚がほんの少し感じられるようになった。あの時代のアメリカの音楽と映画が一番、「クリスマスってなんだろう」て思わせてくれる。モノクロのあの世界、雪がふり、子どもたちが大きなツリーの周りではしゃぎ、チキンなんか食べて、お祈りをする、ノスタルジアとしてのクリスマス・・・。

馬小屋で赤子イエスを抱くマリヤという、クリスマスのイメージのなかで、一番着飾っているのは、実は訪ねてきた三人の東方の博士だという。そんな彼らが、土下座でぼろぼろの赤ん坊にひれ伏す姿は滑稽なのだろうか。今日のアドヴェントの話では、クリスマスは赤ん坊としてイエスが産まれたことを祝うのではない、王の王、主の主である方がこられたことを祝うのだといっていた。



小売をやると、数年後とに全国あちこちに転勤しなければいけない、休日はろくにない、いきなり責任をもってお店を管理職として管理しなければいけないー。それは利点だとどの会社でも言うけれども、それでもやはり、怖い。いつの間にか「社会的自立」が目の前に迫っている。遠くだと思っていたものがそこまできているのに、流れでここまで来てしまったところもある。高校時代はとにかく流れに抗うことで、自分なりにぼろぼろになった。よく歳を召すと、流れに乗ることの大切さも話す。

スフィアン・スティーブンスのクリスマスアルバム、CD化されていない昨年の「8」を、SPI講座が始まった頃、夜中の帰り道で聴きながら帰宅した。真っ暗な田舎道で聴いた彼の存在しないアルバムに、とても感動した。今それを、クロスビーのあとに聞き直している。

中村明美の「ニューヨーク通信」にリンクされているブログからダウンロードできる。CD化してほしい)

親は漠然と「安全な中小にしなさい」という。父親と同じような道に進ませたい、そこから外れたおじさんたちのように苦労はさせたくないという親心があるのだろう。安全な中小企業、それが自分の興味の持てる分野なのか・・・。安全な中小企業をみつけることは、いまとても難しいと思う。いまある程度栄えていても、十年後、二十年後まで続くとは思えない大手企業の下請けはダメだというけれど、たいていそんなところしかないじゃないか。

中学時代から時間の大半を浪費したウェブ関係の仕事が良いのか、バイト費の大半と時間を浪費した音楽とリンクする仕事をさがすのか、ミッション系の企業を探すのか、2年ほど続けた大手家電ショップと同系統の仕事がいいのか、大学とこねのあるよく分からない会社にいけばいいのか、高齢化社会を見計らった仕事を探るのか。

今まで必死にメモをした企業の話の紙はバラバラになってしまった。それをまとめる気力がない。エントリシート、選考、それがもう数週間後に迫っている。すでに就活が現実として始まっている。そんなときに止まったら就職できないまま終わってしまうのではないか、親に頼りきった情けない生き方をしなくちゃいけないのか。


何かをしろというプレッシャーに、高校受験から今まで負け続けてきた。前向きに慣れないでプレッシャーにただ押しつぶされていた。本当にいい意味で「流される」人生とはなんだろうか。ヘヴィーに考えすぎる節があるのか、それが「成長」に必要なのか、でも「退化」と紙一重だといえなくもない。

曲をつくっても、ノイズでしかない。

また、何をすればいいのか分からなくなってきた。そしてパソコンに時間を垂れ流し続ける。

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